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「さらに信仰をお与えください」

「さらに信仰をお与えください」

「信仰​の​必要​な​ところ​で​私​を​助け​て​ください!」―マル 9:24

歌: 81,135

1. 信仰​は​どれ​ほど​大切​です​か。(冒頭​の​写真​を​参照。)

「わたし​は,大​患難​の​時​に​救わ​れ,新しい​世​に​入れ​て​いただける​よう​な​人間​だろ​う​か」と​考え​た​こと​が​あり​ます​か。確か​に,生き残る​に​は​幾つ​か​の​条件​が​あり​ます。しかし,使徒​パウロ​は​とりわけ​重要​な​条件​を​挙げ,「信仰​が​なけれ​ば,神​を​十分​に​喜ばせる​こと​は​でき​ませ​ん」と​述べ​まし​た。(ヘブ 11:6)非常​に​基本​的​な​こと​を​述べ​て​いる​よう​に​思える​でしょ​う。しかし,事実​から​言え​ば,「信仰​は​すべて​の​人​が​持っ​て​いる​わけ​で​は​ない​の​です」。(テサ​二 3:2)これら​の​聖句​から,強い​信仰​を​培う​こと​が​いかに​大切​か​が​分かり​ます。

2,3. (イ)信仰​の​大切​さ​に​つい​て,ペテロ​の​言葉​から​何​を​学べ​ます​か。(ロ)これ​から​どんな​点​に​つい​て​考え​ます​か。

2 使徒​ペテロ​も​信仰​の​大切​さ​に​注意​を​引き,「イエス​・​キリスト​の​表わし示さ​れる​時​に,賛美​と​栄光​と​誉れ​の​いわれ​と​なる」よう​な,信仰​の「試さ​れ​た​質」に​つい​て​述べ​まし​た。ペテロ​第​一 1:7​を​読む。)大​患難​が​急速​に​近づい​て​いる​今,わたしたち​は,栄光​の​王​が​表わし示さ​れる​時​に​その​王​から​称賛​さ​れる​よう​な​信仰​を​持っ​て​い​たい​と​思い​ます。そして,ぜひとも,「信仰​を​抱い​て​魂​を​生き長らえ​させる​者」で​あり​たい​と​思い​ます。(ヘブ 10:39)ですから​わたしたち​は,「信仰​の​必要​な​ところ​で​私​を​助け​て​ください!」と​述べ​た​人​の​よう​に​懇願​し​ます。(マル 9:24)また,イエス​の​使徒​たち​の​よう​に,「わたしたち​に​さらに​信仰​を​お与え​ください」と​嘆願​し​ます。―ルカ 17:5

3 では,どう​し​たら​信仰​を​築ける​でしょ​う​か。信仰​を​持っ​て​いる​こと​を,どの​よう​に​示せる​でしょ​う​か。さらに​強い​信仰​を​求める​願い​は​聞き届け​られる,と​なぜ​言え​ます​か。

神​を​喜ばせる​信仰​を​築く

4. どんな​人​たち​の​模範​に​つい​て​読む​と,自分​の​信仰​を​強め​たい​と​いう​気持ち​に​なり​ます​か。

4 「以前​に​書か​れ​た​事柄​は​皆​わたしたち​の​教え​の​ため​に​書か​れ」まし​た。ですから​わたしたち​は,聖書​に​数多く​記さ​れ​て​いる​信仰​の​模範​から​学ぶ​こと​が​でき​ます。(ロマ 15:4)アブラハム,サラ,イサク,ヤコブ,モーセ,ラハブ,ギデオン,バラク​など​多く​の​人​たち​に​関する​記述​を​読む​と,自分​の​信仰​を​吟味​し​たい​と​思う​よう​に​なり​ます。(ヘブ 11:32‐35)また,際立っ​た​信仰​を​持つ​現代​の​兄弟​姉妹​たち​の​経験​を​読む​と,信仰​を​強める​ため​に​努力​し​たい​と​いう​気持ち​に​なり​ます。 *

5. エリヤ​は​エホバ​へ​の​強い​信仰​を​どの​よう​に​示し​まし​た​か。エリヤ​の​模範​は,どんな​こと​を​吟味​する​よう​促し​ます​か。

5 聖書​中​の​模範​の​一​人​は,預言​者​エリヤ​です。エホバ​に​対する​エリヤ​の​全幅​の​信頼​を​明らか​に​する​幾つ​か​の​事例​に​注目​し​て​ください。エリヤ​は,干ばつ​を​もたらす​と​いう​エホバ​の​お考え​を​アハブ​王​に​伝え​た​際,確信​を​持っ​て​こう​告げ​まし​た。「エホバ​は​生き​て​おら​れ​ます。わたし​の​言葉​の​命令​に​よら​なけれ​ば,……露​も​雨​も​ない​でしょ​う!」(王​一 17:1)また​エリヤ​は,干ばつ​の​期間​に​も​自分​や​他​の​人​たち​の​必要​物​を​エホバ​が​供給​し​て​くださる​こと​を​信じ​て​い​まし​た。(王​一 17:4,5,13,14)さらに,エホバ​は​死ん​だ​子ども​を​生き返ら​せる​こと​が​できる,と​いう​確信​を​言い表わし​まし​た。(王​一 17:21)そして,カルメル​山上​の​犠牲​を​焼き尽くす​ため​エホバ​が​火​を​送っ​て​くださる​こと​を,信じ​て​疑い​ませ​ん​でし​た。(王​一 18:24,37)加え​て,干ばつ​を​終わらせる​エホバ​の​時​が​来る​と,雨​が​降る​兆候​が​全く​見​られ​ない​の​に,アハブ​に,「上っ​て​行っ​て,飲み食い​し​なさい。大雨​の​騒然​と​し​た​音​が​する​から​です」と​告げ​まし​た。(王​一 18:41)こう​し​た​記述​を​読む​と,自分​の​信仰​が​そこ​まで​強い​か​どう​か,吟味​する​よう​促さ​れる​の​で​は​ない​でしょ​う​か。

信仰​を​築く​ため​に​何​が​できる​か

6. 信仰​を​築く​ため​に,エホバ​から​何​を​与え​て​いただく​必要​が​あり​ます​か。

6 自分​の​意志​の​力​だけ​で​信仰​を​培う​こと​は​でき​ませ​ん。信仰​は​神​の​聖霊​の​実​の​一面​です。(ガラ 5:22)ですから,聖霊​を​もっと​祈り​求める​よう​に,と​いう​イエス​の​助言​に​従う​の​は​賢明​な​こと​です。天​の​父​は「ご自分​に​求め​て​いる​者​に​聖霊​を​与え​て​くださる​の​です」と,イエス​は​保証​し​て​いる​から​です。―ルカ 11:13

7. どう​すれ​ば​自分​の​信仰​を​強く​保てる​か,例え​で​説明​し​て​ください。

7 信仰​を​得​た​後​も,その​信仰​を​養っ​て​ゆか​なけれ​ば​なり​ませ​ん。信仰​は​薪​の​火​に​例える​こと​が​でき​ます。薪​に​火​が​つく​と,その​火​は​激しく​燃え上がる​こと​でしょ​う。しかし,そのまま​に​し​て​おく​と,やがて​火​は​消え,薪​は​木炭​の​よう​に​なり,結局​は​ただ​の​灰​に​なっ​て​しまい​ます。しかし,頻繁​に​薪​を​くべる​なら,いつ​まで​も​火​を​燃やし​続ける​こと​が​でき​ます。信仰​も​同じ​です。定期​的​に​神​の​言葉​で​自分​を​養う​なら,信仰​を​生き生き​と​し​た​状態​に​保つ​こと​が​でき​ます。聖書​の​研究​を​続ける​なら,聖書​と​その​著者​で​ある​神​へ​の​愛​を​深める​こと​が​でき,その​愛​を​土台​と​し​て,より​強い​信仰​を​築く​こと​が​でき​ます。

8. 信仰​を​築き,それ​を​保つ​ため​に,どんな​こと​が​助け​に​なり​ます​か。

8 強い​信仰​を​築き,それ​を​保つ​ため​に,さらに​何​が​できる​でしょ​う​か。バプテスマ​の​時​まで​に​学ん​だ​事柄​だけ​で​満足​し​て​は​なり​ませ​ん。(ヘブ 6:1,2)信仰​を​持つ​べき​強力​な​理由​と​なる,成就​し​た​聖書​預言​に​注意​を​払い​続け​て​ください。また,神​の​言葉​に​照らし​て,自分​の​信仰​が​本当​に​強い​か​どう​か,調べる​こと​も​でき​ます。―ヤコブ 1:25; 2:24,26​を​読む。

9,10. 信仰​を​築く​点​で,(イ)良い​交わり,(ロ)集会,(ハ)野外​奉仕​は,どの​よう​に​助け​に​なり​ます​か。

9 使徒​パウロ​は​仲間​の​クリスチャン​に,「各々​互い​の……信仰​に​よっ​て,相互​に​励まし合う」こと​が​できる,と​述べ​まし​た。(ロマ 1:12)わたしたち​は,エホバ​を​崇拝​する​仲間​たち,とりわけ「試さ​れ[た]信仰​の​質」を​すでに​実証​し​て​いる​人​たち​と​交わる​時,互い​の​信仰​を​築き上げる​こと​が​でき​ます。(ヤコ 1:3)悪い​交わり​は​信仰​を​損ない​ます​が,良い​交わり​は​信仰​を​築き上げ​ます。(コリ​一 15:33)「集まり合う​こと​を​やめ​たり​せ​ず」,「互い​に​励まし​合」う​こと​を​続ける​よう​勧め​られ​て​いる​理由​の​一つ​は​そこ​に​あり​ます。ヘブライ 10:24,25​を​読む。)もう​一つ​の​理由​は,集会​から​得​られる​情報​が​信仰​を​築き上げる​から​です。「信仰​は​聞く​事柄​から​生じる」と​いう​パウロ​の​言葉​どおり​です。(ロマ 10:17)では,わたしたち​は,集会​で​の​交わり​を​生活​の​一部​と​し​て​いる​でしょ​う​か。

10 わたしたち​は​野外​奉仕​に​参加​する​時,他​の​人​の​信仰​だけ​で​なく,自分​の​信仰​も​築く​こと​が​でき​ます。初期​クリスチャン​の​よう​に,どんな​状況​で​も​エホバ​に​全き​信仰​を​置き,大胆​に​語る​こと​を​学べる​の​です。―使徒 4:17‐20; 13:46

11. カレブ​と​ヨシュア​が​強い​信仰​を​持て​た​の​は​なぜ​です​か。どう​し​たら​彼ら​の​よう​に​なれ​ます​か。

11 エホバ​が​どの​よう​に​助け​て​くださり,どの​よう​に​祈り​に​答え​て​くださる​か​が​分かる​と,信仰​は​成長​し​ます。カレブ​と​ヨシュア​の​場合​が​そう​でし​た。この​2​人​は​約束​の​地​を​探り​に​行っ​た​時​に​信仰​を​示し​まし​た。しかし​その​後​も,折​ある​ごと​に​エホバ​の​導き​を​実感​し,その​たび​に​信仰​は​ますます​成長​し​て​ゆき​まし​た。ヨシュア​が​イスラエル​人​に,「あなた方​の​神​エホバ​の​話さ​れ​た​すべて​の​良い​言葉​は,その​一言​と​いえ​果たさ​れ​なかっ​た​もの​は​あり​ませ​ん」と,力強く​語っ​た​の​も​当然​です。ヨシュア​は​後​に,こう​も​言い​まし​た。「それ​で​今,エホバ​を​恐れ,とが​なく,真実​を​もっ​て​この​方​に​仕え​なさい。……わたし​と​わたし​の​家​の​者​と​は​エホバ​に​仕え​ます」。(ヨシュ 23:14; 24:14,15)エホバ​の​善良​さ​を​味わい知る​なら,わたしたち​も​そう​し​た​確信​を​抱く​こと​が​でき​ます。―詩 34:8

信仰​を​実証​する

12. ヤコブ​は,信仰​に​は​何​が​必要​で​ある​と​述べ​て​い​ます​か。

12 では,生き​た​信仰​を​持っ​て​いる​こと​を​どの​よう​に​実証​でき​ます​か。弟子​ヤコブ​は,「わたし​は​自分​の​信仰​を​自分​の​業​に​よっ​て​あなた​に​見せ​て​あげ​ましょ​う」と​述べ​て​い​ます。(ヤコ 2:18)真​の​信仰​を​持っ​て​いる​か​どう​か​は,行動​で​分かる​の​です。幾つ​か​の​例​を​見​て​み​ましょ​う。

宣教​に​打ち込む​人​たち​は,強い​信仰​を​示し​て​いる(13​節​を​参照)

13. 宣べ伝える​活動​が​信仰​を​示す​方法​だ​と​言える​の​は,なぜ​です​か。

13 信仰​を​実証​する​優れ​た​方法​の​一つ​は,宣べ伝える​活動​に​参加​する​こと​です。なぜ​でしょ​う​か。この​活動​を​行なう​に​は,今​の​事物​の​体制​の​終わり​は​神​の​ご予定​の​時​に​到来​し,それ​が「遅く​なる​こと​は​ない」と​いう​信仰​が​必要​だ​から​です。(ハバ 2:3)自分​の​信仰​の​強さ​を​測る​一つ​の​方法​は,宣教​に​どの​程度​打ち込ん​で​いる​か​を​調べる​こと​です。わたしたち​は,できる​限り​の​こと​を​し​て​いる​でしょ​う​か。どう​し​たら​宣教​の​機会​を​広げる​こと​が​できる​か,考え​て​いる​でしょ​う​か。(コリ​二 13:5)「救い​の​ため​に……公​の​宣言​を​する」こと​は,心​に​信仰​を​抱い​て​いる​こと​を​はっきり​示す​方法​な​の​です。―ローマ 10:10​を​読む。

14,15. (イ)日々​の​生活​で,どの​よう​に​信仰​を​示せ​ます​か。(ロ)強い​信仰​を​行動​で​示し​た​人​の​経験​を​述べ​て​ください。

14 日々​の​生活​で​直面​する​難しい​問題​に​取り組む​際​も,信仰​を​示せ​ます。わたしたち​は,病気,落胆,憂うつ​な​気持ち,貧しさ​など,難しい​問題​に​直面​し​ます。しかし​どんな​問題​に​遭遇​する​と​し​て​も,エホバ​と​み子​が「時​に​かなっ​た​助け」を​与え​て​くださる​こと​を​確信​し​て​い​ます。(ヘブ 4:16)エホバ​に​助け​を​祈り​求める​時,わたしたち​は​そう​し​た​確信​を​示し​て​いる​の​です。イエス​は,「その​日​の​必要​に​応じ[た]パン」など,物質​的​な​物​を​祈り​求める​こと​が​できる,と​言わ​れ​まし​た。(ルカ 11:3)聖書​の​記述​から,エホバ​は​わたしたち​に​必要​物​を​与える​こと​が​できる​と​いう​確信​を​抱け​ます。例えば,イスラエル​で​厳しい​干ばつ​が​起き​た​時,エホバ​は​エリヤ​に​食べ物​と​水​を​お与え​に​なり​まし​た。「渡りがらす​が​朝,彼​の​ところ​に​パン​と​肉​を,また​夕方​に​も​パン​と​肉​を​運ん​で​来​た」の​です。そして​エリヤ​は,エホバ​の​指示​どおり,「奔流​の​谷​から,……引き続き​飲」み​まし​た。(王​一 17:3‐6)わたしたち​は,エホバ​が​物事​を​導き,わたしたち​に​も​必要​物​を​与え​て​くださる​と​いう​信仰​を​持っ​て​い​ます。

日々​の​生活​で​直面​する​難しい​問題​に​取り組む​際​も,信仰​を​示せる(14​節​を​参照)

15 わたしたち​は,聖書​の​原則​を​適用​する​なら,家族​の​日々​の​必要​物​を​賄う​こと​が​できる,と​いう​確信​も​抱い​て​い​ます。アジア​に​住む​レベッカ​と​いう​主婦​の​姉妹​は,その​こと​を​実感​し​まし​た。夫婦​で​マタイ 6​章​33​節​と​箴言 10​章​4​節​を​生活​に​当てはめ,王国​の​関心事​を​第​一​に​し,勤勉​に​働き​まし​た。夫​は​ある​時,世俗​の​仕事​から​来る​プレッシャー​で​家族​の​霊性​が​危険​に​さらさ​れ​て​いる​の​を​感じ,仕事​を​辞め​まし​た。しかし,4​人​の​子ども​を​養わ​なけれ​ば​なり​ませ​ん。どう​し​た​でしょ​う​か。レベッカ​は​こう​言い​ます。「夫婦​で​お菓子​を​作っ​て​売る​仕事​を​始め​まし​た。何​年​も​その​よう​に​し​て​生活​を​支える​こと​が​でき​まし​た。エホバ​は​決して​わたしたち​を​お見捨て​に​なら​ない,と​感じ​まし​た。食事​に​事欠く​こと​は​一度​も​あり​ませ​ん​でし​た」。あなた​も,聖書​に​勝る​導き​は​ない,と​いう​信仰​を​示す​生き方​を​し​て​き​まし​た​か。

16. 神​を​信頼​する​なら,どんな​結果​に​なり​ます​か。

16 神​の​導き​に​従う​なら​必ず​良い​結果​に​なる,と​いう​こと​を​決して​疑う​べき​で​は​あり​ませ​ん。パウロ​は​霊感​に​よる​ハバクク​の​言葉​を​引用​し,「義人​は​信仰​の​ゆえに​生きる」と​書き​まし​た。(ガラ 3:11。ハバ 2:4)ですから,本当​に​助け​て​くださる​方​に​信仰​を​置く​の​は​肝要​な​こと​です。パウロ​が​述べ​た​よう​に,神​は「わたしたち​の​うち​に​働か​せ​て​おら​れる​力​に​より,わたしたち​が​求め​また​思う​ところ​の​すべて​を​はるか​に​超え​て​なし​うる​方」です。(エフェ 3:20)エホバ​の​僕​たち​は,神​の​ご意志​を​行なう​ため​に​最善​を​尽くし​ます​が,自分​に​は​限界​が​ある​こと​を​知っ​て​いる​の​で,エホバ​を​信頼​し,結果​は​エホバ​に​委ね​ます。神​が​わたしたち​と​共​に​い​て​くださる​の​は,うれしい​こと​で​は​ない​でしょ​う​か。

信仰​を​求める​願い​は​聞き届け​られる

17. (イ)信仰​を​求める​使徒​たち​の​願い​は,どの​よう​に​聞き届け​られ​まし​た​か。(ロ)さらに​強い​信仰​を​求める​わたしたち​の​願い​も​聞き届け​られる​と​言える​の​は,なぜ​です​か。

17 この​記事​で​学ん​だ​こと​を​考える​と,わたしたち​も,「さらに​信仰​を​お与え​ください」と​イエス​に​述べ​た​使徒​たち​と​同じ​気持ち​に​なる​か​も​しれ​ませ​ん。(ルカ 17:5)使徒​たち​の​その​願い​は,特に​西暦​33​年​の​ペンテコステ​の​日​に​聞き届け​られ​まし​た。その​日,彼ら​は​聖霊​を​注が​れ,神​の​目的​に​対する​深い​理解​が​与え​られ​まし​た。その​結果,信仰​を​強め​られ,かつて​ない​規模​の​伝道​活動​を​始め​まし​た。(コロ 1:23)さらに​強い​信仰​を​求める​わたしたち​の​願い​も​聞き届け​られる​の​でしょ​う​か。聖書​は,「[神​の]ご意志​に​したがって​求める」なら​聞き届け​られる,と​保証​し​て​い​ます。―ヨハ​一 5:14

18. エホバ​は,信仰​を​培う​人々​を​どの​よう​に​祝福​し​て​ください​ます​か。

18 エホバ​は,ご自分​に​全幅​の​信頼​を​置く​人々​の​こと​を​喜ん​で​ください​ます。エホバ​は,さらに​強い​信仰​を​求める​わたしたち​の​願い​を​聞き届け​て​くださり,わたしたち​の​信仰​は​大いに​成長​し​て​ゆき​ます。その​よう​に​し​て​わたしたち​は,「神​の​王国​に​ふさわしい​者​と​される」の​です。―テサ​二 1:3,5

^ 4節 次​の​兄弟​姉妹​の​ライフ​・​ストーリー​を​参照。リリアン​・​ゴバイタス​・​クローゼ「目ざめよ!」1993​年​7​月​22​日​号),フェリクス​・​ボリス(「目ざめよ!」1994​年​2​月​22​日​号),ジョセフィン​・​エリアス(「目ざめよ!」2009​年​9​月​号)。