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「あなた方の救出が近づいている」!

「あなた方の救出が近づいている」!

「身​を​まっすぐ​に​起こし,頭​を​上げ​なさい。あなた方​の​救出​が​近づい​て​いる​から​です」。―ルカ 21:28

歌: 133,43

1. 西暦​66​年​に​どんな​こと​が​生じ​まし​た​か。(冒頭​の​挿絵​を​参照。)

あなた​が,西暦​66​年​に​エルサレム​で​生活​し​て​いる​クリスチャン​だ​と​し​ましょ​う。身​の​回り​で​様々​な​出来事​が​次々​に​生じ​ます。まず,ローマ​の​行政​長官​フロールス​が​神殿​の​聖​なる​宝物​庫​から​17​タラント​を​奪い取り​ます。すると​ユダヤ​人​が​直ちに​暴動​を​起こし,エルサレム​の​ローマ​軍​を​虐殺​し​て,ローマ​から​の​独立​を​主張​し​ます。しかし​ローマ​は​すぐさま​反撃​に​出,3​か月​も​たた​ない​うち​に,シリア​の​ローマ​総督​ケスティウス​・​ガルス​が​3万​の​軍​を​率い​て​やっ​て​来​ます。ローマ​軍​が​すぐさま​エルサレム​郊外​に​侵攻​し​て​来​た​ため,ユダヤ​人​の​反乱​分子​は​安全​な​神殿​の​要塞​に​退却​し​ます。そこで,ローマ​軍​は​神殿​域​の​外壁​の​下​を​掘り​始め​ます。エルサレム​市​全体​が​パニック​状態​に​陥り​ます。こう​し​た​こと​が​次々​に​生じる​の​を​見​たら,あなた​は​どう​感じる​でしょ​う​か。

2. 西暦​66​年,クリスチャン​は​どんな​行動​を​取る​必要​が​あり​まし​た​か。その​よう​に​行動​でき​た​の​は​なぜ​です​か。

2 きっと,福音​書​筆者​ルカ​が​記し​た​イエス​の​言葉​を​思い起こす​こと​でしょ​う。イエス​は,「エルサレム​が​野営​を​張っ​た​軍隊​に​囲ま​れる​の​を​見​た​なら,その​時,その​荒廃​が​近づい​た​こと​を​知り​なさい」と​言わ​れ​まし​た。(ルカ 21:20)しかし​疑問​も​生じ​ます。「どう​し​たら,イエス​の​あの​指示​に​従える​だろ​う」と​思い​ます。「その​時,ユダヤ​に​いる​者​は​山​に​逃げ​はじめ​なさい。都​の​中​に​いる​者​は​そこ​を​出​なさい。田舎​に​いる​者​は​都​の​中​に​入っ​て​は​なり​ませ​ん」と​いう​指示​です。(ルカ 21:21)これ​ほど​大​規模​な​軍隊​に​囲ま​れ​て​いる​の​に,どうして​エルサレム​を​出る​こと​など​できる​でしょ​う​か。ところが,想像​も​し​なかっ​た​こと​が​生じ​ます。あなた​の​目​の​前​で,ローマ​軍​が​撤退​し​始め​た​の​です。予告​どおり,ローマ​軍​に​よる​攻撃​は「短く​され」まし​た。(マタ 24:22)イエス​の​指示​どおり​に​行動​できる​機会​が​訪れ​まし​た。あなた​は,エルサレム​市​と​その​周辺​に​住む​忠実​な​クリスチャン​すべて​と​共​に,すぐさま​ヨルダン​川​の​向こう​の​山​に​逃げ​ます。 * その​後,西暦​70​年​に,ローマ​軍​が​再び​やっ​て​来​て​エルサレム​市​を​滅ぼし​ます。しかし,あなた​は​イエス​の​指示​に​従っ​た​ため​に​命​を​救わ​れ​まし​た。

3. クリスチャン​は​間​も​なく,1​世紀​と​同様​の​どんな​状況​に​直面​し​ます​か。この​記事​で​は​どんな​点​に​つい​て​考え​ます​か。

3 わたしたち​は​間​も​なく​それ​と​同様​の​状況​に​直面​し​ます。イエス​は​クリスチャン​に​エルサレム​の​滅び​に​つい​て​警告​し​た​だけ​で​は​あり​ませ​ん。将来「大​患難」が​勃発​する​時​に,1​世紀​の​それら​の​出来事​に​類似​し​た​事柄​が​生じる​こと​を​示さ​れ​まし​た。(マタ 24:3,21,29)うれしい​こと​に,「大​群衆」は​世界​的​な​災厄​を​生き残る​の​です。啓示 7:9,13,14​を​読む。)聖書​は​将来​の​そう​し​た​出来事​に​つい​て​何​と​述べ​て​い​ます​か。わたしたち​は​その​点​に​強い​関心​を​抱く​べき​です。わたしたち​の​救い​が​関係​し​て​いる​から​です。では​これ​から,そう​し​た​将来​の​出来事​が​わたしたち​各自​に​どう​影響​する​か​を​詳しく​調べ​ましょ​う。

大​患難​の​始まり

4. 大​患難​の​始まり​を​しるし​づける​出来事​は​何​です​か。それ​は​どの​よう​に​し​て​生じ​ます​か。

4 大​患難​は​どの​よう​に​始まる​の​でしょ​う​か。「啓示」の​書​の「大いなる​バビロン」の​滅び​に​関する​説明​に,その​答え​が​あり​ます。(啓 17:5‐7)すべて​の​偽り​の​宗教​が​売春​婦​に​例え​られ​て​いる​の​は​非常​に​適切​な​こと​です。聖職​者​たち​は​この​邪悪​な​世​の​指導​者​たち​に​身​を​売っ​て​き​た​から​です。聖職​者​たち​は,イエス​と​その​王国​を​忠節​に​支持​する​の​で​は​なく,人間​の​支配​者​たち​を​支援​し,政治​的​な​影響​力​を​得る​ため​に​敬虔​な​原則​を​無視​し​て​き​まし​た。清く​処女​の​よう​な​油そそが​れ​た​者​たち​と​は​全く​対照​的​です。(コリ​二 11:2。ヤコ 1:27。啓 14:4)娼婦​の​よう​な​この​組織​を​滅ぼす​の​は​だれ​でしょ​う​か。エホバ​神​は「ご自分​の​考え」を,「緋色​の​野獣」の「十​本​の​角」の​心​の​中​に​入れ​ます。「緋色​の​野獣」は​国際​連合​を​表わし,「十​本​の​角」は​国際​連合​を​支持​する​現在​の​政治​勢力​全体​を​表わし​ます。―啓示 17:3,16‐18​を​読む。

5,6. 大いなる​バビロン​の​滅び​は,偽り​の​宗教​に​属し​て​い​た​人々​すべて​の​死​を​意味​する​わけ​で​は​あり​ませ​ん。なぜ​そう​言え​ます​か。

5 しかし,大いなる​バビロン​を​構成​する​諸​宗教​が​滅ん​だ​結果,それら​の​宗教​に​属し​て​い​た​者​たち​は​すべて​死ぬ​の​でしょ​う​か。そう​で​は​ない​よう​です。預言​者​ゼカリヤ​は​その​時​の​こと​に​つい​て,霊感​を​受け​て​書き記し​まし​た。偽り​の​宗教​に​属し​て​い​た​ある​人物​に​つい​て,こう​述べ​て​い​ます。「[彼​は]きっと​こう​言う。『わたし​は​預言​者​で​は​ない。土​を​耕す​者​だ。地​の​人​が​わたし​を​若い​ころ​から​手​に​入れ​た​の​だ』。そこで​人​は​彼​に​こう​言う​の​で​ある。『両手​の​間​に​ある​あなた​の​身​の​これら​の​傷​は​どう​し​た​の​か』。すると​彼​は​きっと​言う​で​あろ​う,『わたし​を​強く​愛する​者​たち​の​家​で​打た​れ​た​とき​の​もの​だ』」。(ゼカ 13:4‐6)ですから,聖職​者​で​あっ​て​も,宗教​的​な​歩み​を​捨て,自分​が​偽り​の​宗教​に​属し​て​い​た​こと​を​否認​する​人​が​いる​よう​です。

6 その​時,神​の​民​は​どう​なる​の​でしょ​う​か。イエス​は​こう​説明​し​て​い​ます。「実際,その​日​が​短く​され​ない​と​すれ​ば,肉​なる​者​は​だれ​も​救わ​れ​ない​でしょ​う。しかし,選ば​れ​た​者​たち​の​ゆえに,その​日​は​短く​される​の​です」。(マタ 24:22)すでに​考え​た​よう​に,西暦​66​年​に​患難​は「短く​され」まし​た。その​ため,「選ば​れ​た​者​たち」つまり​油そそが​れ​た​クリスチャン​は,エルサレム​市​と​その​周辺​から​逃げる​こと​が​でき​まし​た。同様​に,将来​の​大​患難​の​最初​の​部分​は,「選ば​れ​た​者​たち」の​ゆえに「短く​され」ます。政治​的​な「十​本​の​角」が​神​の​民​を​全滅​さ​せる​こと​は​許さ​れ​ませ​ん。一時​的​な​休止​期間​が​訪れる​の​です。

試み​と​裁き​の​時

7,8. 偽り​の​宗教​組織​が​滅ん​だ​後,どんな​機会​が​訪れ​ます​か。その​時,神​の​忠実​な​民​は​どんな​点​で​際立っ​た​存在​に​なり​ます​か。

7 偽り​の​宗教​組織​が​滅ん​だ​後,どんな​こと​が​起き​ます​か。その​時​に​は,わたしたち​の​心​に​ある​もの​が​明らか​に​なり​ます。人類​の​大部分​は,「山​の​岩塊」に​例え​られ​て​いる,人間​の​組織​に​避難​所​を​求める​でしょ​う。(啓 6:15‐17)しかし​神​の​民​は,エホバ​が​備え​て​くださる​比喩​的​な​避難​所​に​逃げ​ます。1​世紀​の​場合,患難​が​短く​され​て​生じ​た​一時​的​な​休止​期間​は,大勢​の​人々​が​こぞって​ユダヤ​教​から​キリスト​教​に​改宗​する​時​で​は​あり​ませ​ん​でし​た。すでに​クリスチャン​に​なっ​て​いる​人​たち​が​行動​し,従順​を​示す​べき​時​でし​た。同様​に,大​患難​に​おける​その​休止​期間​に,大勢​の​人々​が​クリスチャン​に​なる​こと​は​期待​でき​ませ​ん。その​休止​期間​は,真​の​クリスチャン​すべて​が​エホバ​へ​の​愛​を​証明​し,キリスト​の​兄弟​たち​を​支援​する​機会​と​なる​でしょ​う。―マタ 25:34‐40

8 その​試み​の​時​に​何​が​起こる​か,完全​に​は​分かっ​て​い​ませ​ん​が,ある​程度​の​犠牲​が​求め​られる​こと​は​予想​でき​ます。1​世紀​の​場合,クリスチャン​が​生き残る​に​は,自分​の​持ち物​を​後​に​し,困難​を​耐え忍ば​なけれ​ば​なり​ませ​ん​でし​た。(マル 13:15‐18)わたしたち​も​物質​的​な​損失​を​いとわ​ず,忠実​を​保つ​でしょ​う​か。求め​られる​こと​は​何​で​も​すぐ​に​行なっ​て,エホバ​へ​の​忠節​を​実証​する​でしょ​う​か。考え​て​み​て​ください。その​時,古代​の​預言​者​ダニエル​に​倣い,何​が​あっ​て​も​神​へ​の​崇拝​を​続ける​の​は,わたしたち​だけ​な​の​です。―ダニ 6:10,11

9,10. (イ)その​時,神​の​民​は​どんな​音信​を​宣明​し​ます​か。(ロ)神​の​民​の​敵​は​どんな​反応​を​示し​ます​か。

9 それ​は「王国​の​この​良い​たより」を​宣べ伝える​べき​時​で​は​あり​ませ​ん。その​時​は​もう​完了​し​まし​た。「終わり」が​実際​に​来​た​の​です。(マタ 24:14)神​の​民​は​間違い​なく,厳しい​裁き​の​音信​を​宣明​する​こと​に​なり​ます。その​音信​に​は,サタン​の​邪悪​な​世​が​間​も​なく​完全​に​終わる​と​いう​宣告​も​含ま​れる​こと​でしょ​う。聖書​は​この​音信​を​雹​に​なぞ​ら​え,こう​述べ​て​い​ます。「それぞれ​の​重さ​が​一​タラント​ほど​も​ある​大きな​雹​が​天​から​人々​の​上​に​降り,人々​は​雹​の​災厄​の​ため​に​神​を​冒とく​し​た。その​災厄​が​異常​に​大きかっ​た​から​で​ある」。―啓 16:21

10 敵​が​これ​に​気づか​ない​はず​は​あり​ませ​ん。預言​者​エゼキエル​は,マゴグ​の​ゴグ​つまり​諸​国家​の​連合​体が​行なう​事柄​を,霊感​の​もと​に​こう​説明​し​て​い​ます。「主権​者​なる​主​エホバ​は​この​よう​に​言わ​れ​た。『そして,その​日​に​は,あなた​の​心​の​中​に​色々​な​こと​が​上っ​て​来​て,あなた​は​必ず​有害​な​企て​を​考え出す。あなた​は​必ず​言う,「わたし​は​無​防備​の​田園​の​地​に​攻め上る。わたし​は,騒乱​の​おそれ​も​なく,安らか​に​住ん​で​いる​者​たち​の​ところ​に​入っ​て​行く。彼ら​は​皆,城壁​も​なく​住ん​で​おり,かんぬき​も​扉​も​ない」。それ​は​多く​の​もの​を​分捕り,多く​の​もの​を​強奪​する​ため​で​あり,再び​人​が​住む​よう​に​なっ​た​荒れ廃れ​た​所​と,諸​国民​の​中​から​集め​られ​た​民,すなわち​富​や​財産​を​ため​て​いる​民,地​の​中心​に​住ん​で​いる​者​たち​と​の​上​に​あなた​の​手​を​引き戻す​ため​で​ある』」。(エゼ 38:10‐12)比喩​的​に​言っ​て,神​の​民​は,「地​の​中心​に」住ん​で​いる​か​の​よう​な​際立っ​た​存在​に​なり​ます。諸​国家​は​我慢​でき​ませ​ん。エホバ​の​油そそが​れ​た​者​と​その​仲間​たち​を​必死​で​攻撃​し​よう​と​し​ます。

11. (イ)大​患難​に​おける​出来事​の​順番​に​関し​て,どんな​こと​を​理解​し​て​おく​必要​が​あり​ます​か。(ロ)人々​は​天​の​しるし​を​見​て​どう​反応​し​ます​か。

11 次​に​どんな​こと​が​起こる​の​でしょ​う​か。聖書​は,出来事​が​生じる​正確​な​順番​を​述べ​て​い​ませ​ん。ある​出来事​は​別​の​出来事​と​重なり合う​もの​と​思わ​れ​ます。イエス​は​この​事物​の​体制​の​終結​に​つい​て​預言​し​た​際,こう​述べ​まし​た。「太陽​と​月​と​星​に​しるし​が​あり,地上​で​は,海​の​とどろき​と​その​動揺​の​ゆえに​逃げ道​を​知ら​ない​諸​国民​の​苦もん​が​ある​でしょ​う。同時​に​人々​は,人​の​住む​地​に​臨も​う​と​する​事柄​へ​の​恐れ​と​予想​から​気​を​失い​ます。天​の​もろもろ​の​力​が​揺り動かさ​れる​から​です。その​とき​彼ら​は,人​の​子​が​力​と​大いなる​栄光​を​伴い,雲​の​うち​に​あっ​て​来る​の​を​見る​でしょ​う」。(ルカ 21:25‐27。マルコ 13:24‐26​を​読む。)この​預言​の​成就​に​は,文字どおり​の​天​に​おける​恐ろしい​しるし​や​出来事​が​含ま​れる​の​でしょ​う​か。はっきり​し​た​こと​は​まだ​分かり​ませ​ん。いずれ​に​し​て​も,そう​し​た​しるし​は​確か​に​神​の​敵​を​恐怖​と​パニック​に​陥れ​ます。

わたしたち​は​救出​を​確信​し,積極​的​な​態度​を​取る(12,13​節​を​参照)

12,13. (イ)イエス​が「力​と​大いなる​栄光​を​伴[っ​て]」来る​時,どんな​こと​が​生じ​ます​か。(ロ)その​時,神​の​僕​たち​は​どう​反応​し​ます​か。

12 イエス​が「力​と​大いなる​栄光​を​伴[っ​て]」来る​時,どんな​こと​が​生じ​ます​か。その​時​イエス​は,忠実​な​人​たち​に​は​報い​を,忠実​で​ない​人​たち​に​は​罰​を​与え​ます。(マタ 24:46,47,50,51; 25:19,28‐30)マタイ​の​記述​に​よる​と,イエス​は​複合​の​しるし​を​述べ​た​際,最後​に,羊​と​やぎ​の​たとえ​話​を​され​まし​た。こう​言っ​て​い​ます。「人​の​子​が​その​栄光​の​うち​に​到来​し,また​すべて​の​み使い​が​彼​と​共​に​到来​する​と,その​とき​彼​は​自分​の​栄光​の​座​に​座り​ます。そして,すべて​の​国​の​民​が​彼​の​前​に​集め​られ,彼​は,羊飼い​が​羊​を​やぎ​から​分ける​よう​に,人​を​ひとりひとり​分け​ます。そして​彼​は​羊​を​自分​の​右​に,やぎ​を​自分​の​左​に​置く​でしょ​う」。(マタ 25:31‐33)羊​と​やぎ​は​それぞれ​どんな​裁き​を​宣告​さ​れる​の​でしょ​う​か。たとえ​話​は​こう​結ば​れ​て​い​ます。「これら​の​者[やぎ]は​去っ​て​永遠​の​切断​に​入り,義​なる​者​たち​は​永遠​の​命​に​入り​ます」。―マタ 25:46

13 やぎ​は「永遠​の​切断」が​待ち受け​て​いる​こと​を​知っ​て​どう​反応​する​でしょ​う​か。「嘆き​の​あまり​身​を​打ちたたき」ます。(マタ 24:30)キリスト​の​兄弟​たち​と​その​忠実​な​仲間​たち​は​どう​し​ます​か。エホバ​神​と​み子​イエス​・​キリスト​に​対する​強い​信仰​を​もっ​て,イエス​の​次​の​命令​に​注意​を​向け​ます。「これら​の​事​が​起こり​始め​たら,あなた方​は​身​を​まっすぐ​に​起こし,頭​を​上げ​なさい。あなた方​の​救出​が​近づい​て​いる​から​です」。(ルカ 21:28)そう​です,救出​を​確信​し,積極​的​な​態度​を​取る​の​です。

王国​で​明るく​輝く

14,15. マゴグ​の​ゴグ​に​よる​攻撃​が​始まっ​た​後,どんな​こと​が​生じ​ます​か。それ​は​どの​よう​に​し​て​生じ​ます​か。

14 マゴグ​の​ゴグ​が​神​の​民​を​攻撃​し​始め​た​後,どんな​こと​が​生じ​ます​か。マタイ​も​マルコ​も​同じ​事柄​を​記し​て​い​ます。「[人​の​子]は​み使い​たち​を​遣わし,四方​の​風​から,地​の​果て​から​天​の​果て​まで,自分​の,選ば​れ​た​者​たち​を​集める​でしょ​う」。(マル 13:27。マタ 24:31)選ば​れ​た​者​たち​を​集める​と​は,油そそが​れ​た​者​たち​が​最初​に​選ば​れる​時​の​こと​を​言っ​て​いる​の​で​は​あり​ませ​ん。また,油そそが​れ​た​残り​の​者​たち​に​最終​的​な​証印​を​押す​こと​で​も​あり​ませ​ん。(マタ 13:37,38)最終​的​な​証印​を​押す​こと​は,大​患難​の​勃発​前​に​行なわ​れ​ます。(啓 7:1‐4)では,選ば​れ​た​者​たち​を​集める​と​は​何​の​こと​です​か。それ​は,14万4000​人​の​残り​の​者​たち​が​天的​な​報い​を​受ける​時​の​こと​を​言っ​て​い​ます。(テサ​一 4:15‐17。啓 14:1)この​出来事​は,マゴグ​の​ゴグ​に​よる​攻撃​が​始まっ​た​後​の​ある​時点​で​生じ​ます。(エゼ 38:11)次い​で,「その​時,義人​たち​は​その​父​の​王国​で​太陽​の​よう​に​明るく​輝く」と​いう​イエス​の​言葉​が​成就​し​ます。―マタ 13:43 *

15 キリスト​教​世界​の​多く​の​人​は,クリスチャン​が​人間​の​体​を​着け​た​まま​天​に​取り去ら​れる​と​信じ​て​い​ます。また,イエス​が​地​を​支配​する​ため​に,目​に​見える​様​で​戻っ​て​来る​と​考え​て​い​ます。しかし​聖書​は,「人​の​子​の​しるし​が​天​に​現われ」,イエス​が「天​の​雲​に​乗っ​て」来る​と​述べ,イエス​が​目​に​見え​ない​様​で​戻っ​て​来る​こと​を​はっきり​示し​て​い​ます。(マタ 24:30)さらに​聖書​は,「肉​と​血​は​神​の​王国​を​受け継ぐ​こと​が​でき[ない]」と​も​述べ​て​い​ます。ですから,天​に​取り去ら​れる​人​たち​は,まず,「一瞬​に,またたくま​に,最後​の​ラッパ​の​間​に……変え​られる」必要​が​あり​ます。 * コリント​第​一 15:50‐53​を​読む。)地上​に​残っ​て​いる​忠実​な​油そそが​れ​た​者​たち​は,瞬時​に​集め​られる​の​です。

16,17. 子羊​の​結婚​の​前​に,どんな​出来事​が​生じ​ます​か。

16 天​に​14万4000​人​全員​が​そろ​う​と,子羊​の​結婚​の​最終​的​な​準備​が​始まり​ます。(啓 19:9)しかし,その​喜ばしい​結婚​の​前​に​生じる​出来事​が​あり​ます。すでに​述べ​た​よう​に,14万4000​人​の​残り​の​者​たち​が​天​に​取り去ら​れる​少し​前​に,ゴグ​が​神​の​民​を​攻撃​する​の​です。(エゼ 38:16)地上​に​いる​神​の​民​は​その​出来事​に​どの​よう​に​応じ​ます​か。彼ら​は​無​防備​に​見え​ます。そして,エホシャファト​王​の​時代​に​与え​られ​た​次​の​指示​に​従い​ます。「あなた方​は​この​場合,戦う​に​は​およば​ない。しっかり​立ち,立ち止まっ​て,あなた方​の​ため​の​エホバ​の​救い​を​見よ。ユダ​と​エルサレム​よ,恐れ​たり,おびえ​たり​し​て​は​なら​ない」。(代​二 20:17)しかし​天​で​生じる​反応​は​それ​と​は​違い​ます。啓示 17​章​14​節​は,油そそが​れ​た​者​たち​すべて​が​天​に​そろっ​た​後​の​こと​を​こう​述べ​て​い​ます。「[神​の​民​の​敵]は​子羊​と​戦う​で​あろ​う。しかし​子羊​は,主​の​主,王​の​王​で​ある​の​で,彼ら​を​征服​する。また,召さ​れ,選ば​れ​た​忠実​な​者​たち​も​彼​と​共​に​征服​する」。イエス​は,天​の​共同​支配​者​14万4000​人​と​共​に,地上​の​神​の​民​の​救出​に​来る​の​です。

17 その​後​に​続く​ハルマゲドン​の​戦い​に​よっ​て,エホバ​の​聖​なる​み名​は​大いなる​もの​と​され​ます。(啓 16:16)その​時,やぎ​の​よう​な​者​は​すべて「去っ​て​永遠​の​切断​に​入り」ます。ついに​地​から​あらゆる​悪​が​ぬぐい去ら​れ,大​群衆​は​大​患難​の​最終​部分​を​通過​し​ます。準備​万端​整っ​た​その​時点​で,「啓示」の​書​の​最高潮​と​なる​子羊​の​結婚​が​行なわ​れ​ます。(啓 21:1‐4 * 地上​で​生き残っ​た​人​たち​は​神​の​恵み​を​受け,あふれる​ほど​の​神​の​愛​を​実感​し​ます。何​と​感動​的​な​婚宴​な​の​でしょ​う。わたしたち​は​その​日​が​一日​も​早く​来​て​ほしい​と​願っ​て​い​ます。―ペテロ​第​二 3:13​を​読む。

18. 興奮​を​誘う​出来事​が​間近​に​迫っ​て​いる​今,わたしたち​は​どう​す​べき​です​か。

18 興奮​を​誘う​そう​し​た​出来事​が​間近​に​迫っ​て​いる​今,わたしたち​は​何​を​行なっ​て​いる​べき​でしょ​う​か。使徒​ペテロ​は​霊感​を​受け​て​こう​書き​まし​た。「これら​の​もの​は​こう​し​て​ことごとく​溶解​する​の​ですから,あなた方​は,聖​なる​行状​と​敬虔​な​専心​の​うち​に,エホバ​の​日​の​臨在​を​待ち,それ​を​しっかり​と​思い​に​留める​者​と​なる​べき​で​は​あり​ませ​ん​か。……それゆえに,愛する​者​たち​よ,あなた方​は​これら​の​もの​を​待ち望ん​で​いる​の​ですから,最終​的​に​汚点​も​きず​も​ない,安らか​な​者​と​し​て​見いださ​れる​よう​力​を​尽くし​て​励み​なさい」。(ペテ​二 3:11,12,14)ですから,霊的​に​清い​状態​を​保ち​つつ,平和​の​王​イエス​・​キリスト​を​支持​し​ましょ​う。

^ 15節 その​時​地上​に​生き​て​いる​油そそが​れ​た​者​たち​の​肉​の​体​は,天​に​取り去ら​れる​の​で​は​あり​ませ​ん。(コリ​一 15:48,49)その​体​は,イエス​の​体​が​取り除か​れ​た​の​と​同じ​方法​で​処分​さ​れる​もの​と​思わ​れ​ます。

^ 17節 詩編 45​編​に​も,出来事​の​順番​を​示す​ヒント​が​あり​ます。まず​王​が​戦い​を​行ない,その​後​に​結婚​式​が​行なわ​れ​ます。